上野動物園のジャイアントパンダ「リーリー」と「シンシン」が、2024年(令和6年)9月29日に中国に返還されることが決まりました。
(https://youtu.be/UE1mlav-ndU)
両パンダは2011年に来日し、13年間にわたり多くの人々に愛されてきましたが、高血圧などの健康問題が理由で返還されることになりました。
上野動物園のジャイアントパンダ「リーリー」と「シンシン」とは?
上野動物園のジャイアントパンダ「リーリー」と「シンシン」は、2005年に中国の四川省臥龍保護センターで生まれました。
リーリーは2005年8月16日生まれのオスで、シンシンは2005年7月3日生まれのメスです。
彼らは2011年2月21日に日本に到着し、上野動物園で飼育され始めました。
特徴と性格
- リーリーは、オスの中でも特に大柄で、穏やかな性格を持っています。慎重で繊細なハートの持ち主で、聞きなれない音には敏感です。
- シンシンは、自由奔放な性格で、笑顔が似合う丸顔が特徴です。些細なことには動じませんが、時折パニックになることがあります。
日本での生活とエピソード
リーリーとシンシンは、2011年の来日直後に東日本大震災が発生し、公開が延期されましたが、同年4月に公開されると多くの人々が訪れました。
2017年には待望の赤ちゃん、シャンシャンが誕生し、2021年には双子のシャオシャオとレイレイが誕生しました。
健康状態と返還
最近では、リーリーとシンシンは高血圧の症状が確認され、降圧剤の投与を受けています。そのため、生まれ育った環境で治療を受けることが望ましいとされています。
パンダ外交とは?
パンダ外交とは、中国が外交の手段としてジャイアントパンダを他国に送る行為を指します。
この手法は、冷戦時代に一般的になり、中国との友好関係を象徴するシンボルとして多くの国で重要視されています。
パンダ外交の歴史
パンダ外交の歴史は、1936年にアメリカに初めてパンダが渡ったことに始まります。当時、中国国民党政権がアメリカにパンダを贈り、これが初めてのパンダ外交とされています。
1970年代には、中国共産党が政権を握り、台湾との関係を背景にパンダ外交を活発化させました。この時期、アメリカや日本など、国交正常化を果たした国々にパンダが贈られました。
パンダのレンタルの仕組み
1984年にワシントン条約によりパンダの国際商取引が原則禁止されると、中国はパンダを他国に贈呈するのではなく、長期的なレンタル形式で提供するようになりました。
このレンタルは、主に繁殖研究を目的としており、契約の詳細は明らかにされていませんが、パンダは最初から中国に返す約束で貸し出されています。
パンダ外交の課題
パンダ外交にはいくつかの課題があります。
まず、パンダは絶滅の危機に瀕しているため、保護が必要な動物であり、飼育や繁殖が容易ではありません。
また、パンダ外交は政治的な意図が強く、国際関係の変化に影響されやすいという側面があります。例えば、米中関係の悪化に伴い、アメリカの動物園からパンダが返還されるケースも見られます。
このように、パンダ外交は単なる動物の貸し出しにとどまらず、国際政治や外交戦略に深く関与しています。
パンダ返還とは?
パンダは中国の国家的な財産とされており、所有権は中国にあります。
多くの場合、パンダは「繁殖研究目的」の貸与として他国に送られますが、契約期間が終了すると中国に返還されることになります。
今回は高血圧などの健康問題を理由とした返還となりました。
返還の背景
- 健康問題: リーリーとシンシンは高血圧の症状が確認されており、降圧剤を投与しても改善が見られなかったため、生まれ育った環境での治療が望ましいと判断されました。
- 契約と協議: 当初の協定では2026年までの飼育が予定されていましたが、東京都と中国野生動物保護協会の友好的な協議の結果、早期返還が決定されました。
返還に伴うイベント
返還に先立ち、9月3日からパネル展が行われ、9月15日からはオンラインで2頭へのメッセージ募集が始まります。
また、観覧は9月28日まで可能で、最終観覧は抽選制となっています。
まとめ
リーリーとシンシンは、上野動物園で約5000日間過ごし、多くの思い出とジャイアントパンダの保護研究に貢献しました。彼らの存在は、日本の多くの人々に癒しと喜びをもたらしました。
この返還は、パンダの健康を最優先に考えた結果であり、多くのファンにとっては寂しいニュースですが、彼らの健康を考慮した温かい見守りが求められています。
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